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人材業界から医療業界へ転身ゼロからの医療施設立ち上げに尽力

Profile

飯白

執行役員
経営管理部門 人事総務部 部長

※インタビュー内容は、2019年7月時点のものです

人材を扱い22年。その道のプロフェッショナルに

前職時代の飯白。AMCを紹介してくれた友人(右)と

大学卒業以来、人材を扱う仕事に従事してきた飯白。求人広告営業や人材紹介、マーケティングなど人材に関わり22年。その間、友人と共に人材系の会社を設立するなどその経歴は多彩だ。設立した会社がM&Aで吸収されるなど紆余曲折あるものの、最も長く勤めた会社では役員となっていた。そんな折、再びM&Aの話が持ち上がり、会社が売却されることになる。その売却の条件が、代表を含め役員全員解任。飯白は長らく勤めた会社を去ることを決める。22年間、まっしぐらに走ってきた。「せっかくなのでしばらくの間、仕事をせずにゆっくり過ごそう。」そう思っていた矢先、「東日本大震災」が発生する。

震災、復興…。 ゼロからの支援事業立ち上げに奔走

復興支援事業の責任者をやらないか——。
震災から1ヶ月が経過した2011年4月。前職時代の先輩を通じて知り合った大手人材派遣会社の副社長を務める男が飯白にそう持ちかけた。その会社ではある団体から復興支援事業を受託しているのだという。そこで飯白に生活支援事業の立ち上げ・運用責任者を任せたいというのだ。役員解任、退職と自身の身に起きた目まぐるしい変化を受け、しばらくの間自分の時間を持とうと思っていたものの、母親の実家が津波で流されるという被害に遭い、日本の危機的状況を目の当たりにした飯白は、すぐさまその仕事を引き受けることにした。

生活支援事業とは、海外からの救援資金をもとに、仮設住宅に住む方々へテレビ、冷蔵庫、洗濯機といった家電を届けるというもの。国内の主要家電メーカーから製品を仕入れ、仮設住宅へ配送するための物流の整備など、支援の仕組み作り・管理が主な仕事だった。

稀有な災害に見舞われた日本は大いに混乱していた。被災地で復興支援事業を立ち上げ、軌道に乗せることがいかに困難の多い任務であったかは想像に難くない。イレギュラーが次々と発生する毎日。そんな中でも、不測の事態をひとつひとつ潰しながら徐々に仕組みを作り上げていった。支援体制が整い、事業が落ち着き始めたのは2011年の10月ごろ、震災から7ヶ月後のことだった。

医療を事業として捉える。
新たな可能性にAMC入社を決意

時を同じくして、AMCの社長である古川はこれからの会社を共に支える幹部を求め、人材紹介会社にヘッドハンティングを依頼していた。しかし、ポジションに見合う人材はそう簡単に見つからない。「いい人材はいないのか?」知り合いの人材紹介会社に何とかして見つけてほしいと相談したところ、「それならば、わたしの最も“信頼できる男”を。」そうして紹介されたのが飯白だった。

そんなことを知る由もない飯白は、事業を軌道に乗せたことを評価され、その貢献を表彰されるなど社内でなくてはならない存在になっていた。翌年には昇格と、新しいプロジェクト責任者を任されることが約束されていた。そこへ人材紹介会社を営む大学時代からの友人で前職の同期でもある仲間からAMCを紹介されたのだ。

これが飯白とAMC社長・古川との出会いである。転職する気などさらさらない飯白は、友人への義理立てで会ってみることにしたのだが、古川と実際に対面し、その熱意に気持ちは揺り動かされる。

保守的かつ排他的な印象を持っていた医療業界。しかし、古川の語る医療を事業として捉えるという話に、医療への将来性を感じ、多くの可能性を秘めていることを知る。公立の病院が潰れるというニュースはよく耳にした。また、経営が民間に移ったことでよくなった病院を近所で実際に目にしていた。そうした医療業界の情勢を身近に触れたことも重なり、“事業としての医療”に対し、大いに発展性を感じた。飯白はAMCへの転職を決めるのである。

在宅医療の立ち上げ
クリニックの危機を脱出

入社後、飯白は人事の責任者をはじめ、複数の要職を任された。人材業界出身の飯白とはいえ、人事に属した経験は無く、労務や給与関係など未経験の分野もある。そんな飯白に人事を任せた理由を社長の古川は「人事を回せるようになれば、どんな仕事でもそつなくこなせるようになるから」とその意図を明かす。そんな古川の思いを知ってか知らずか、飯白は人事以外でも期待以上の結果を出していく。

兼務する在宅医療事業の立ち上げは飯白のAMCでの成果の一つだ。人の採用、役所の許認可手続き、集患の営業と調整など全て手探りで、トラストクリニック等々力とトラストクリニック御影の立ち上げを遂行するのである。医療の知識・経験が無い中で進めてこられたのは、先生方や事務スタッフの助言・協力があったおかげという飯白。神戸市にある御影の立ち上げ時、準備が終わらず、2泊の予定が7泊の出張になってしまった。そんな苦労した出来事も良い思い出と笑って話す。

開院後も決して順調ではなかった。2014年度の厚生労働省の診療報酬改定により、介護系施設向けの在宅医療の保険点数が4分の1に下がるという事態が起きたのである。これはクリニックにとって一大事だった。保険制度を勉強し、医師からも助言をもらいながら、シミュレーションを行った。そのおかげで改定後の保険制度に則りながらも、黒字で乗り切ることができたのだ。

個人的な感情を排除し、
“全体最適”に努める。
プライベートでは自分を解放

様々な人や部署の間で、利害関係を調整することの多い飯白が大切にしていることは“全体最適”。局地的には不満が出ることはあるかもしれないが、いつも全体にとって最適な判断をしたいと考えている。多くの人々の調整を伴う業務による心労は計り知れない。「ストレスがあるという自覚が無いんですよ。」飯白からは意外な答えが返ってきた。「仕事には必ず目的がある。その仕事の目的を見失わないようにし、何が必要かを考える。そうすると、『あの仕事がいい、この仕事はいや』という個人的な感情は必然となくなるんです。ただ、自分がうまくできなかったとき、『なぜできなかったんだ』と自分への憤りを感じることはある。これがストレスなのかな?」個人的な感情を挟み込まず、仕事の目的を第一に考える姿はまさにプロフェッショナルである。

プライベートでは“何もしない”というのが飯白流のリフレッシュ方法。したいと思ったことをしたいときにする。仕事では自分の感情を出さない分、プライベートの時間では自分の気持ちの赴くままに過ごす。自分を解放するのだ。

再びあの達成感を。
新天地でのミッションへ——。

在宅医療のゼロからの立ち上げの実績を持つ飯白は、現在、また新しい挑戦の中に身を置いている。名古屋駅直結の一等地に2017年10月にオープンした「ミッドタウンクリニック名駅」の統轄事務長として、立ち上げから運営までを指揮している。就任前に、人事総務部やミッドタウンの運営部門など重要部門を統括し多忙な日々を送っていた飯白。名古屋の立ち上げにあたり、別の職員に名古屋を任せるという選択肢もなかったわけではない。しかし、在宅医療をゼロから形にしその達成感を味わっていた飯白は、社長の古川に思わず話していた。「私がやります。」

医療施設のゼロからの立ち上げというのは生易しいものではない。開業前後の飯白の奔走ぶりを見ていたセールス&プロモーション部長の那須はこう語っている。「施設の作りこみ、医師やスタッフの獲得、連携医療機関等との調整、交渉、導線の整備、職員の教育・・・。知識だけでなく、交渉力、企画力、人を動かすヒューマンスキル、総合的にいろんな力が必要なこの任務を回している飯白部長のエネルギーに圧倒されています。」自分で創り上げ、形にしていく、その達成感と喜びが、飯白を駆り立てているのだ。「自分がこんな経験をできるとは、AMCに入社するまで思ってもみなかったこと。医療未経験だった自分に初めてシニア医療を任せてもらえたときも、こんなチャンスを与えてくれた会社にとても感謝したのを覚えています。」

熱い思いを持ちチャレンジする職員には、その機会が与えられるのがAMC。

飯白のキャリアは、それを象徴的に物語っているようだ。


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